クリエイトニュース・アーカイブ
タイトル | クリエイトニュース22号 |
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発行日 | 2013年9月 |
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クリエイトニュース22号.pdf 21 | |
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巻頭言 | 時代の中の子どもたち |
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執筆者 | 村田 民雄 |
更新日 | 2025-05-20 15:41:19 |
巻頭言(文章) |
時代の中の子どもたち自分の子ども時代を含め、子育ての時代、そして孫育ての時代と、それぞれ20年ほどの時間をおいた、三つの時代の子どもの姿を見てきたことになる。 戦後の貧しい時代に少年期を過ごした私たちが、まず思い浮かべるは外遊びの多様なことだろう。男子はチャンバラ、パッタ(めんこ)、ニッキ(釘打ち)、ビー玉、すもう、女子はおはじき、おてだま、ゴムとびなどなど、そして毎日やって来るのが紙芝居。とにかく遊びがいそがしくて勉強する時間がなかった。農家の子は労働力としても期待され、「あすんでばりいねで勉強すろ」などという親は見たことがなかった。 このような少年時代を経験して、日本の高度経済成長を支えた人たちは、自分の子育てにその経験を生かすことはなかった。子育てから多様な価値観と選択肢が失われ、偏差値という一本物差しが巾を利かせた。高学歴社会と引き換えに生きる力が失われ、ファミコンの登場で子どもの集団が細分化していく。このようにして、敗戦後の一億総貧乏の中で、エネルギッシュな力を与えてくれた遊び集団は消滅していった。 書店をはじめて40有余年は世代を超えた子どもたちとの出会いでもあった。本や雑誌は今では考えられないほどよく読まれた。週刊少年ジャンプのピーク時は250冊が発売日の夕方まで持たないほどの売れ行き。雑誌やコミック、文庫の発売を待つ子どもたちは店先にあふれ、本屋は子どもたちの社交場でもあった。 そんな時代の忘れられない少年。正月明けにシャッターを開けると6年生の少年と父親が立っていた。万引きを詫びに来たという。2年前のことと聞き耳を疑い、思わず「黙っていればわからなかったことなのにいまなぜ」と絶句した。少年はだれにも見つからず万引きに成功したのに、もう一人の「自分」に責め続けられたのだった。2年間悩んだ末、12月31日、父親に打ち明け、年が明けた初売りの日にあやまりにきたのだという。子どもにとっての2年間の長さを思う。 さまざまな子どもたちが店を訪れ、社会に巣立っていった。あの少年はいまどんな大人になっているだろうか。どんな親になっているだろうか。そして息子たちにとってどんな父親になっているだろうか。 タントクルセンター センター長 |
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